こんにちは、sikiです。
私は5年間システムエンジニアとして会社勤務していたのですが、適応障害になってうつ病になり、
半年休職して、その後退職しました。
そのへんの詳しいことは↓の記事で書いています!
その時に感じていた「社会人に向いていないなぁ」ということや「辛かったなぁ」ということをまとめてみたので、
暗い話になるかもしれませんが、よかったら見て行ってください。
毎朝起きなければいけない
毎朝、早く起きるのが本当に苦痛でした。
9時に始業の会社だったので、もちろん9時前に会社に着かなければいけません。
入社したてのころは、早起きできていたんですが、
数年もすると寝付きが悪くなる不眠症になり、寝不足が続いていました。
朝起きた瞬間からもうしんどい・・・
そんな日がほとんどで、毎日朝が苦痛でした。
自由に仕事ができない・仕事をもらえない
私が配属された職場は繁忙期と閑散期がはっきりとしているところでした。
繁忙期は考える余裕がないくらいに忙しくなるのでよかったのですが、
閑散期(ひまな時期)は本当に社内ニートで、毎日「仕事をください」と言っていました。
自分で仕事を探しにいっても、「それはやらなくていい」や「今は暇な時期だからゆっくりしておいて」としか言われず、過去の資料を眺めるくらいしかなかったときもあります。
人間暇なときは余計なことを考えるもので、
・自分はこんなに暇なのに、先輩方はいそがしそうだな
・自分だけ定時に帰るのは申し訳ないな
と一人で勝手に落ち込んでいました。
先輩たちは予算関係だったり仕事の調整をしていたので、私には手伝えることがなかったのですが、自分だけ暇で早く帰っていることに罪悪感を感じていました。
先輩たちは仕事をしている中で雑談もできず、朝の「おはようございます」から帰りの「お先に失礼します」まで、一言も言葉を発さない日が何日もあったくらいです。
自分で仕事を探せない環境だった
私の仕事はシステムの保守や開発だったので、システムを使う人から「これを直して」と言われない限り仕事はありません。
その他は毎年決まった開発などがスケジュールに組み込まれており、そのスケジュールの繁忙期に向けて準備をしていくといった感じです。
一番下の年次だった私は閑散期には仕事がなく、庶務ばかりしていました。
自分で仕事を探しにいこうとしても、余計なことをするなと言われたり、
システムを使う側の担当者は先輩方と打ち合わせで捕まりません。
また個人情報を扱う部署だったので、インターネットが使えず、
調べ物もできませんでした。
忙しい先輩に「仕事をください」という毎日で、困った顔をしている顔を見るのが辛かったです。
仕事がないのに会社に行く意味がわからなかった
閑散期は2ヶ月くらい毎日定時に帰る生活でした。
定時までの時間が長く感じるくらい暇で、早く定時にならないかなぁと毎日思っていました。
そんな中でも不眠症でなかなか寝付けず、朝起きると体調が悪い日がたくさんありました。
そんな日は、「なんで調子が悪い身体を無理やり引きずって、暇つぶしをしにいかなくちゃいけないんだろう」と思い、休んでしまうときもあります。
忙しいときは、そんなことを考える余裕もないくらいなので、いつもより早く会社に行き、
0時前に帰ってくる生活もザラでした。
そんな生活より、閑散期で定時に帰る日が続くほうが恵まれてるのに、
私は暇なことが嫌でした。
平日が拘束される
会社は普通に平日5日勤務で、土日休みでした。
当然ですが、平日は毎日仕事です。
私はそれが苦痛でした。
不眠症のために病院に行かなくてはいけませんが、平日はいけません。
土日に行けばいいんですが、土曜の朝しかほとんど開いていないし、病院の予定で貴重な休みが埋まってしまいます。
健康な人は病院に行かずに休みを謳歌できるのに、私は病院で土日が潰れるのがとても嫌でした。
たまに有給を取って病院に行ったりしていましたが、有給がなくなって困ったこともありました。
このままの生活が続くことに苦痛を感じていた
5年間は仕事を続けましたが、その間にもいろいろ葛藤がありました。
この先何十年もこんな生活が続くのか・・・?と思い、嫌気が刺してしまいました。
この生活、社会人生活から抜け出すには、妊娠して産休や育休を取るか、辞めるか
その二択しかありませんでした。
私は子供を産まない選択をしている人間なので、妊娠するという選択肢は取れません。
また、安定志向で仕事を辞めるなんてもってのほか!とも思っていたので、退職の選択肢も取れませんでした。
そしてそのままその生活を続け、どうしようもなくなるほどに消耗してうつ病になりました。
まとめ:自分で自由に決めて、自由にやりたかった
社会人生活で嫌だったことを書き出してみて、私は自由に起き、自由に仕事を探して
自分で自由にやりたかったんだなと改めて思いました。
自分の裁量で決めたかったのです。
そのためには年次が上がって管理職の立場になるしかなく、その前に身体と心に限界がきてうつ病になって退職しました。
うつ病にならなかったら退職するなんて選択肢は取れなかったかもしれませんが、
もっと自分の本音がわかっていれば、結末は違ったのかなぁ思うばかりです。
過去の嫌だったことを思い返してみると、意外な自分の本音がわかるかもしれません。
時間が経ってようやく考えられることですが、ちょっと思い出してみるのも良いのかもしれません。
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