社会人として5年ほど働いていましたが、社会人2年目~3年目あたりで適応障害になり、その後1年ほどでうつ病になりました。
病気を抱えながら働いてはいたんですが、たくさんの辛い症状がありましたね・・・
今回は私が体験した、社会人生活で辛かったことを話していきたいと思います。
これらを我慢して、うつ病になったよ
電話対応
会社では、離席しているところの電話は新入社員が取らなければいけない(暗黙の)ルールがあり、配属されてから一番初めに教わったのが電話対応です。
配属された当初、自分の部署の名前も覚えられていないのに、相手の部署、チーム名、名前、誰への電話かを聞き取ることがとても困難でした。
メモを取ればいいと教えられましたが、メモを取っている間にも話は進むので、結局聞き取れずに他の人に引き継ぐことになります。
慣れが必要だと言われましたが、私はいつまで経っても慣れず、今でも電話は苦手です。
私はこの電話にとても悩まされることになるのですが、これは長くなるので別の機会にお話したいと思います。
最終的には電話が嫌で嫌で、トイレに行ったり、有給をつかって休んだりしてしまうほどに・・・。
同期との比較
同期がたくさんいましたが、みんな優秀で、同期と比べられてしまうのがとても辛かったです。
大学の偏差値で言うと、私は同期の中でもダントツに低く、身の丈よりもレベルが上の会社に就職しました。
就活はめちゃくちゃ頑張ったからね・・・!
一番下から始めるのは、むしろ上がっていく一方なのでは!!??と楽観的な考えもあり、頑張っていさえすればいいと思っていました。
しかし、私には簡単な仕事しか与えられず、同期には責任が重くて大変な仕事が与えられていました。
同期には後輩ができ、後輩を教育する立場にもなっていましたが、私のチームには後輩が来ず、庶務をずっと続けている日々でした。
それでもいい。自分の仕事をすればいいだけ。と思って仕事を続けていましたが、心のどこかで比べられることに不満を持っていたのだと思います。
特に誰かから言われたことがないので、被害妄想なところもあると思います。
不安症
少し年次が上がると、先輩たちの仕事を受け持つことも増えてきました。
人に仕事を振ることや、教える立場になったとき、
「ちゃんと教えられるかな?」
「漏れなく抜かりなく伝えられるかな?」
「こんな表現で伝わるかな?」
と、過度に不安になり、準備にとてつもない時間をかけるようになってしまいます。
また、仕事では上司に怒られることもあります。
普通のことですが、私は怒られることをとても怖がり、怒られないように怒られないように・・・と行動をするようになりました。
少しでも「怒られるかも・・・!?」と思ってしまうと、焦って動悸がして、パニックになってしまうようになります。
失敗をして成長していくという言葉も頭ではわかっていますが、体と心が怒られることを拒否していました。
そうして、何事にも恐れて不安になってしまう不安症であることがわかりました。
元から心配性なので、それも関係しているかも・・・
過呼吸
怒られないように、やらかさないように、漏れなく抜かりなく・・・とやっている内に、動悸がして息ができなくなるときがありました。
会議などで、あらかじめ準備した文章を読むだけのことが、できなくなりました。
息が吸えなくない、息が続かない、声が出ないようになってしまい、そんな自分がとても恥ずかしく思っていました。
周りの人は当たり前のようにできているのに、なんで私は出来ないんだろう、なさけないと、自責の念が積み重なります。
朝起きれない・夜は眠れない
会社にいるときは、漏れなく抜かりなく、ミスをせずに、怒られずにと、常に気を張っている状態でした。
朝は8時前に家を出て、夜は早くて19時、遅くて21時、一番忙しいときは日付を超えるときもありました。
そんな生活を続けているうちに、眠れないようになります。
もともと寝付きが悪いこともありますが、ベッドに入ってから数時間眠れない日がざらに続きます。
朝の3時4時、ひどいときは5時6時まで眠れないときもありました。
そうなると、もちろん朝は起きれなくなります。
朝が辛いのはみんな一緒、みんな朝は辛いものだ、と言いますが、
次第に起きた瞬間に吐き気や頭痛、体のだるさを感じるようになりました。
趣味が楽しめない・気力がない
朝は起きれない、夜は眠れない、会社にいるときは常に気を張っている状態で仕事を続け、体も心もボロボロの状態でした。
けれど、周りの人は私よりも重い仕事をしていて、私よりも残業していました。
こんな私なんかのために時間を使わせることはできないと思ってしまい、雑談もできないようになります。
感情なんて持つだけ無駄、仕事をして評価されないといけないと思い、感情を殺して日々を過ごしていました。
家に帰ってもご飯を作る気力や、テレビを見る気力もなく、次第には好きだったマンガやアニメを見ること、ゲームをすることさえもできなくなりました。
YouTubeで音楽を聴いても騒音にしか聞こえず、ただベッドに寝転がって泣いているだけでした。
なにをするにも気力がわかない、なにもできない、寝付くこともできません。
この段階で、不眠症で通っていた心療内科から適応障害と診断されました。
その結果:社会に適合できないとわかった
適応障害と診断されたあと、上司に相談したり自分なりに療養することで、なんとか回復はしました。
「こんな辛いことを、自分は乗り切ったんだ!」とも思っていました。
しかし、こういった辛いことが少しづつ重なって、ある日コップから水があふれるように感情がぐちゃぐちゃになり、気づけばうつ病になって休職していました。
退職して数年経った今、改めて考えてみると、そもそも社会人に向いていないな・・・
俗に言う社会不適合者だな・・・と思います。
極端な考え方をしていたし、被害妄想も強かったな・・・と今は思いますが、当時はそんなことを考えている余裕はありませんでした。
社会のレールから外れて、自責をやめて、うつ病もなんとかなってきた今でこそ思えることです。
これらの経験をして、また社会に出て働きたいとは思いません。
別の道でどうにかできないかなと模索しているところです。
私はこの経験から、もう自分が嫌なことをするのはやめようと思っています。
少しでも嫌だと感じたら、相手の迷惑になるようなことでも自分を守るために行動するようにしています。
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